日本100名城①~No.44 名古屋城~2023year May

旅行

旅行二日目の今日(1日目はこちら)は、子どもたちの希望というよりは、私の希望のコースです。こどもの日だというのに 笑。

以前より、お城を観るのは好きでしたが、親戚のおばさんがお寺や神社を巡っていて、そのスタンプがあと数える程になったと聞き、旅をするにもただその地域を回るだけでなく、目的を持って行くのが素敵だな…と感じ、モチベーションが上がるスタンプラリーの城バージョンはないかと調べたところ、日本100名城があるとのこと!!!

公式に認められているスタンプの本を事前に買い、いざ名古屋城へ。



↑↑↑↑↑購入したスタンプ本

記念すべき第一城目です!

張り切っているのは、家族で私一人かもしれません 笑。

ホテルからすぐ近くでしたが、歩くには少し遠いかなと、10時にチェックアウトして近くまで車で行きました。

…が、すでに、名古屋城のまわりは車・車・車。

駐車場に入る車で列が出来ていて、何分待てば入れるのかという、気の長くなるような列。

でも、気づいたのですが、なんと、白昼堂々、路上駐車の多いこと。

駐車禁止の標識はあるのですが、よく見ると「土日祝日以外」…とある。

私の住む街では正直、路上駐車は考えられなかったので、だいぶ悩みましたが、お城から少し離れたところに路上駐車することに。

少し離れたところでないとお城のまわりは駐車する箇所がないというのが正しい表現です。

10分ほど歩き、正門から入りました。

20年ほど前に来たことはありましたが、その頃の印象と変わらず立派なお城で、シンボルの金のシャチホコも輝いていました。

まず、資料館に立ち寄りました。

名古屋城の生い立ち

名古屋城の生い立ちは、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清州から新城下への町丸ごとの引っ越しを決定。

この新たに造られた基盤割の街が現在の名古屋の原型となり町や橋の名前も受け継がれているそうです。

慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じ、慶長20(1615)にほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。

現在の天守閣

現在の天守閣は昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、昭和2o年(1945)の名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失しました。

しかし、名古屋のシンボルとして天守閣の再建を望む市民の声は日に日に高まり、昭和34年(1959)ついに天守閣が再建されました。

再建された鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣は、外観は昭和実測図に基づき正確に再現され、内部は焼失を免れた本丸御殿障壁画(重要文化財)や武具などを展示し、名古屋城の歴史を市民に紹介する博物館としての機能を果たしました。

現在は、耐震性が低いことに対応するため、天守閣を閉館していたので、資料館のあとは、本丸に行こうと思いましたが、1時間待ちとのこと。

恐るべし、ゴールデンウイーク😥。

お昼も近くなり、お城に興味のないお腹を空かせた子どもたちを並ばせるのは違うかなと、夫に近くの味噌煮込みうどんのお店を探してもらい、徒歩で向かいました。

名古屋名物 味噌煮込みうどん


「山本屋」という味噌煮込みうどんを食べに行きました。

メインストリートから少し外れた、昔ながらの雰囲気のあるお店で、店主も気さくな方でした。


一つずつ、煮込んだものが熱々で出てきて、とても美味しかったです。



名古屋で味噌煮込みうどんを食べれて、目的達成です。
子供たちも大満足のようでした。

その後、私が100名城と騒いでいるので夫が調べてくれ、こちらも100名城の一つ、近くの犬山城へも行くことに。

次回に続きます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました