育児の終わりを想うと子どもが愛おしくなる 

子育て

初めて寝返りした日
初めて座った日
初めて歩いた日

………

育児が始まり、子どもが初めて出来たことは結構覚えているけど、
終えた日は案外覚えていません。


卒乳した日
自転車の補助椅子を外した日
オフロを一緒に最後に入った日
最後に一緒の布団で寝た日

………

ある芸能人の方(男性)は、
いつも娘とオフロに入っていたけど
歳頃になってきた娘と一緒に入るのは、
そろそろまずくなってきたということで、
娘と話し合い、
最後に一緒にお風呂に入る日を決めたそうです。

最後のその日は、2人で号泣しながら入ったようで、
その話を聞きながら私もホロッとしましたが、
そこまで綿密に日を決めなくても、
そういう日は
成長とともに自然にやってくるものだなと実感しています。

長女・長男に関しては、
一緒にお風呂に入るや、一緒に寝るなどは既に終わっています。

そして、次女の最後がつい先日、
突然やってきました。

2つも。

1つは、
「毎朝、通学で小学校の途中まで一緒に歩く」です。

途中まで…と言っても、家を出て3分ほどです。

もう次女は5年生になるので、遅いぐらいやろ…と
思いますが😂。

長女や長男は近所に同級生がいて、
学校まで一緒に通う子がいましたが、
次女は近所にいなくて(正確にいえば気の合う子がいなくて)、
毎朝、入学当初の1年生の時から通学の途中まで一緒に歩いていました。

学校まで子どもの足で20分ほどかかるので、
それはそれは心配で、
人が多くなる途中まで一緒に歩いていました。


仕事の時間が早くなり、2年生になった時点で、
距離は短くなりましたが、家から歩いて3分ほどのところまで一緒に行き、
「行ってらっしゃい」をしてから見えなくなるまで見送っていました。


距離が近くなったというものの、
その時間に合わせて毎朝、一回家を出ることは、
正社員(時短)で働くことになり、さらに出社時間が早くなってからは、
結構な負担でした。

1日のルーティーンに組み込まれていて、
惰性?で一緒に家を出ていました。

何回か、
「お母さん、いつまで付いて行く?」
と聞きましたが、
その度に次女がまだ付いてきてほしいと言うので、
3分のその時間、
他愛もない話しをして、
季節を感じ、
風景と会話を楽しめた
次女とのひとときでもありました。

それが、この前、突然終わりがやってきたのです。

「今日から一人で行く。
お母さん、来なくて良いよ。
行ってきまーす」と。

玄関から風のように去って行きました。

えっ?えっ?

一人家に残った私は、ア然。

やっと家から見送れる日がきた…と、
あれだけ待ち望んでいた日なのにちょっと寂しく、
2人で歩いた道のりの日々が急に愛おしくなりました。

きっとこの積み重ねが全て終えた日、
この怒濤の育児の日々を本当に懐かしく、
あの時は大変だったけど、
良い時代だったと、
振り返る時がくるでしょう。


その時に、
素晴らしい日々であったと想えるよう、
1日1日を大切に大切に、
なんでもない毎日が幸せな日々なんだとかみしめながら、
過ごしたいと想うのです。


そして立て続けに…

近所の習い事にも車で送迎していましたが、
「今日からチャリで行く」
とピューと行ってしまいました。

それは頼もしく想いましたが、
これまた突然、終わりがやってきたのです。
学年が上がったのも心境の変化があったのかもしれません。

次女の「お母さん、お母さん」
と、何かあれば呼ばれる日からの卒業も、
長女・長男をみてると、
そんなに遠い未来ではないだろうなと、
最近ふと寂しくかんじることも多くなりました。

長女・長男に出来ることは、
頼まれた時の送迎ぐらい。

大変だと想う時は多々ありますが、
それくらいしか頼ってこなくなります。

お金を出すことと🤣。

だから子どもとのふれあいの時間を楽しみ、
自分の趣味も見つけて、1人の時間を大切にし、
そして手が完全に離れて巣立った時に、
もう少ししっかり向き合えば良かった…
などの悔いが残らないよう、
子どもの成長をしっかり見守りたいと思います。。。

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