ゴールデンウイークでの旅行2日目(詳しくはこちら)の続きです。
昼食後、車で30分ほど離れた犬山城へ。こちらも、日本100名城の一つです。
私のお城の原点は、この犬山城と言っても過言ではありません。
小さいころに家族で行きましたが、歩けば、ギシギシ、ミシミシという古い狭い階段を上り、上から見た壮大な景色は今でも覚えています。
初めて行ったお城が犬山城だったかは分かりませんが、日本のお城のイメージはこの犬山城だと、小さいころに記憶に植え付けられました。
ところが、こういうお城は今は逆に少ないのではないでしょうか。
大阪城は、観光用に建て直され、中は資料館や展示館のように豪華。
確か、エレベーターもついていたのではないかと思います😶。
たった12城しか残されていない、当時の姿のまま現存するお城
日本ではたくさんのお城を見ることが出来ますが、江戸時代に建てられ、現在まで残っているのは12城しかありません。
犬山城はその一つです。
現存天守とは、改修・修復はしているものの、焼失・倒壊などすることなく、約400年の間、当時の姿のまま残っているお城のことです。
現存天守12城
・弘前城(国指定重要文化財)
・松本城(国宝)
・犬山城(国宝)
・丸岡城(国指定重要文化財)
・彦根城(国宝)
・姫路城(国宝)
・松江城(国宝)
・備中松山城(国指定重要文化財)
・丸亀城(国指定重要文化財)
・高知城(国指定重要文化財)
・伊予松山城(国指定重要文化財)
・宇和島城(国指定重要文化財)
余談ですが、復元天守とは、当時の図面をもとに再建されたお城。
復興天守とは、天守があったことは分かっているものの、図面等の詳細な資料がない為、他の城を参考に造ったお城です。大阪城、小田原城はこれにあたります。
模擬天守とは、別の場所に建てたり、なかった天守を造り足したりしたお城を言います。
なぜ12城しか現存しないのか
天守は、まず織田家中で広まり、関ヶ原の戦い後は、諸大名が新天地にこぞって城を築きました。しかし江戸時代に入り、徳川幕府の「一国一城令」と「武家諸法度」により、大名の居城となる1城以外の城の破却と城の新築工事の禁止が定められました。
この時、全国に3000ほどあった城が170ほどに激減したそうです。
すごく残念なことですね。
そして、明治時代まで残った城たちは、明治6年(1873)の「廃城令」により、廃藩置県を機に、一旦城はすべて陸軍省の財産となりましたが、すべてが軍用地として必要なわけでもなく、管理も大変で手に余るようになり、要塞として必要な城は「存城」、不要な城は「廃城」が通達され、廃城となった城は大蔵省の普通財産になったようです。
当時は、お城の管理に手があまるようになり、お城の価値がずいぶん低くなった時もあるようです。
紆余曲折、お城ごとに色んなヒストリーを抱えて、今、現存していることは奇跡なんですね。
いざ犬山城へ
話しは戻り、名古屋城に引き続き、午後14時頃、犬山城にやってきました😀。
名古屋城に比べると、敷地なども狭く感じましたが、
あーこれぞ、お城!!!
と嬉しくなりました。
…が、ここでも、120分待ちという、長蛇の列。
入城するまでに60分ほどで入れましたが、最上階の階段が狭いので、そこでもだいぶ待つことに。。。
トータル120分待ったと思います💦。
修復はされているものの、歩くとミシミシという狭い階段を上がっていく、まさにその当時を感じることが出来るお城です。
柵のある窓から臨む景色を見て、400年も前の当時の人たちも、この川の景色を見ていたのかな…と色々想いをはりめぐらせることが大好きです。
お城にくると、本当にワクワクして不思議な気持ちになります。
建物が並び、高いビルもそびえたつ景色になっているお城も多いと思いますが、当時と変わらない山や川といった景色もあるはず。
生活はずいぶん変わりましたが、同じ景色を眺めていたんだな、当時の人たちは、この景色をどんな想いで眺めていたんだろうと想像することが楽しく、お城の醍醐味だなと勝手に思っています。
順番を待ち、最上階で外に出れましたが、とても高く、狭く、思わず「高いー怖いー」…と叫んだほど。
でも、グルっと360°まわれて、どの景色も最高でした。
当時の人たちは、この景色を見て何を感じてたのかな。
敵が迫ってきていないか、常に張り詰めた気持ちだったのか、それとも、壮大な自然を感じ、ふるさとの家族を想っていたのか…なんて、考えたりしました。
お城を出るころには、16時半を回っていました。
大満足です。
次はどこのお城に行こうかな。
旅行に行く目的も増えて今後の旅行も楽しみです。
子どもたちはどう感じたかな。
私が、このお城を見て感動したのが小学生のころ。
子どもたちも何かを感じ、大人になった時に記憶に少しでも残ってくれてると嬉しいな。
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