不妊治療開始まで
不妊治療から長女の出産まで書きたいと思います。
29歳で結婚して、1年は夫婦2人で自由に過ごしました。
結婚と同時に今まで働いていた職場を退職して、しばらく専業主婦をしていましたが、半年ほど経ってさすがに暇になり、フルタイムで仕事を始めました。
結婚2年目から、同じ時期に結婚した友人たちの妊娠報告があったりしたので、赤ちゃんがほしいなと意識し始めました。
自然と出来るものだと勝手に思い込んでいましたが、結婚2年経っても出来ず、3年目で初めて不妊治療のクリニックに通い始めました。
32歳になっていました。
初めてのクリニック
そのころ私は、派遣社員でデザインに関わる仕事をしていました。
残業も少なく、最初は、通院も週に1回あるかないかで、不妊治療もそこまで苦痛ではありませんでした。
原因も色々調べましたが、これといった理由もなく、原因が見つからなかったことにホッとしたと同時に、原因がない不妊も多いようで、原因が分かれば、それに対して治療も出来ますが、分からないのでただただ、タイミング法で不妊治療の敷かれたレールの上を、医師の言われるがままにそのレールに乗っている感覚で通っていました。
学業など、今までは努力すれば、結果は必ずついてくると信じていましたが、妊娠に関してはそうはいきませんでした。
後で結婚した友人の出産報告も聞くようになり、焦りと同時に毎月生理が来るたびにガッカリし、通院するのもだんだん苦痛になりました。
それでも、何とか通えたのは、夫が協力的であったこと、夫との子を残したい、血がつながった子をみてみたいという思いが強く、子どもを諦めるという選択肢はありませんでした。
母の病気
ちょうど不妊治療を始めて1年経ったころ、母の病気が分かりました。
血液の病気、胃が原発の悪性リンパ種でした。
年末に夫と実家に帰省した時は、私たちが辛い思いで新年を迎えないよう、両親はひた隠しにして、いつも通り楽しく年末年始を過ごさせてくれました。
新年が明け、10日経ったころ、電話で連絡あり、隠して悪かったけど、母が悪性リンパ腫で入院することになったと。
病気1つしなっかった母がまさか…という思いで、頭が真っ白になり、孫をみたい一心でスポーツジムに行き、身体を鍛えてくれていた母に、もしかすると孫を見せることができないかも…という思いも沸いてきて、毎日のように泣けて泣けて、涙とはこんなに出るものかと思い知りました。
入院している母に会いに、週末ごとに自宅から2時間ほどかけて車で帰り、月曜日の朝に実家から2時間かけて職場に通った後自宅に戻るという生活がしばらく続きました。
母は私の身体が心配だから、そんなに来なくて良いと言いましたが、一人で過ごす父親も心配でしたし、何より母に会いたい思いのほうが強かったです。
幸い、抗がん剤が効き、半年後には寛解しました。
クリニック転院
母の病気を機に、同じクリニックで通ってもなかなか結果が出なかったので、不妊治療の中でも有名なクリニックに転院しました。
就業場所から車で40分ほどかかり、前のクリニックより遠くなり、就業後に通うのは心が折れそうな時もありました。
有名な病院だったので、通う人も多く、待ち時間は平均1時間。
予約してても時には2時間ほど待った時もあります。
不妊治療とは、女性にばかり負担がかかるものだとつくづく思います。
家事や仕事で忙しい中、時間をやりくりして通院し、痛い筋肉注射を打ったりして、心に寄り添ってくれるパートナーでなければ、とてもじゃないけど、不妊治療を続けることは無理でしょう。
一緒に通院することはできなくても、病院に行った日は話しを聞いたり、労いの言葉をかけるだけでも女性の心の負担はずいぶん軽くなると思います。
今、不妊治療で通院している方もたくさんいるかと思います。
女性一人に負担を押し付けるのではなく、2人の問題だと意識して、夫婦で乗り越えてほしいと思います。
ついに妊娠
クリニックを転院してから、幸運にも半年後ぐらいに妊娠することが出来ました。
私にとって妊娠はまさに「幸運」という言葉がぴったりでした。
ちょうど、生理が始まるころに少し出血があったので、また始まったーとガックリしましたが、その後、出血がピタっと止まり、生理が来る気配もなく、毎朝の体温も高温をキープしていたので、
まさかまさか……
何だか分からない感情で、予約していた日にクリニックに行くと、
「妊娠しています。おめでとうございます」
…とのこと。
あーずっと言われたかった言葉😭。
夢かと思いました。
夫に報告のメールをして、病院から綺麗な夜景を横目に、泣きながらハンドルを握り家まで帰ったのは今でも忘れません。
34歳でした。
しばらく妊娠したことは職場には話さず、安定期に入ってから、徐々に仲の良い職場の人に話すようにしました。
正社員は育休も取って復帰する人が多い、環境の整った会社でしたが、私は派遣社員でしたので、出産後も同じ職場で働くという選択肢はなく、妊娠21週で退職しました。
次回は切迫早産について書きたいと思います。
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